Shock! REVOLE & GOODMAN その2

予期せぬ出来事、

「秋葉原のスタジオ・リボレと
秋葉原のClub GOODMAN
閉店である。涙。」
の続きを書く。

Shock! REVOLE & GOODMAN その1

今回は
ライブハウス Club GOODMANについて。

このコロナ禍で、
既にいくつものライブハウスが
閉店を決め、つぶれてしまったが、
Club GOODMANは
自分たちがお世話になって、
出演させてもらったライブハウスが
閉店の憂き目にあう、初めてのケースである。

この小屋ができたのは
たぶん90年代後半。
お世話になったのは90年代後半の2年間くらいと
2010年代前半の2、3年だったか。

キーパーソンはハマさんという男。

ハマさんとはずいぶん長い付き合いになるが
正直、何者なのか、未だによく知らない。
怪しいおっさんではあるが、
悪人ではない。
むしろ、かなり善人だと思う。

昔はボーカリストであり、
ずっとライブハウスの立ち上げをしたり、
ライブハウスの店長さんだったり、
ライブハウスでブッキングをしてたり
とにかく長〜い間、
ライブハウス界隈で生きている人。

Club GOODMANも、ハマさんが
立ち上げに関与していて
初期の数年間、
この小屋のブッキングをしていた。

我々もハマさんに誘われて
Club GOODMANに出させてもらうことになった。

最初、秋葉原にライブハウス?
という違和感があった。
だってあの頃の秋葉原は、
ONLY電気屋街なイメージだったから。
メイド喫茶とかAKB48なんて
まだ存在していない時代。

最初に出たのは90年代後半だったので
ザ・バンカース!と名乗っていた頃だ。

何故か、歌舞伎座の「桟敷席」
みたいな、横から見る席があった。
これは面白い、
何だかすっかりお気に入りだった。

解りにくいだろうと思い
わざわざ図を書いてみた。

お気に入りの桟敷席(?)は
2010年代に出させてもらった頃には
使われていなかった。

そういえば、一度、体調を崩し、
38度以上の高熱を出しながら
ライブに出演したことがあったが、
Club GOODMANだった。

解熱剤をしこたま飲んで
本番直前までクルマの中で
1人おとなしく厚着して横になってた。
体調が悪くても案外ベースは弾けた。
やはり全身倦怠だから
動きはしんどい。
そして、なんといっても歌が、
高い声が出ない。
こいつはまいった。
ライブ後も引き続き3日間は
高熱を出して寝込んでいた。
2度と経験したくない思い出。
(90年代末頃のこと)

90年代末ころ、
ハマさんがこの小屋から去ったので
我々も出なくなった。

その次、ハマさんが現れたのは
確か赤坂の新しいライブハウス。
こちらに出させてもらったのは1度だけ。
そして次は吉祥寺。

ところで、いいかげん長くなったので、
「その3」に続くことにする。
「その2」は実のない思い出話に終始したが
「その3」には期待してもらいたい。

(タ)

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